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昔の千歳・今の千歳
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5 小さな石からわかること
千歳市教育委員会 埋蔵文化財センター

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すずき  きびしい氷河期は一万数千年前から収束に向かい、地球は徐々に温暖化が進みました。日照や降水の変化は、次に植物の種類を大きく変えていきました。千歳周辺では火山活動が活発になりました。縄文ムラが一晩でなくなったり、逃げ遅れた人間や動物たちが数多く犠牲になったでしょう。それでも縄文人は逆境をあえて受け入れ、さらに積極的に利用したたくましさと柔軟性をもっていたようです。

 美々貝塚は温暖化の最盛期の遺跡で、ここから見つかる魚には暖かい海にいる種が少なくありません。

スズキの耳石と成長線 その代表がスズキです。セイゴ、セッパ、スズキと名前が変わる出世魚で台湾あたりまで分布します。貝塚から長さ2cmほどの白い楕円形の石が出土しますが、これはスズキの耳石(じせき)。体の成長とともに大きくなり、薄く切るといくつもの線がみえます。この成長線は毎年1本ずつ増えることから、線の数=魚の年齢になります。
 美々貝塚と同時代の遺跡、苫小牧市静川22ではスズキの耳石が40個ほどみつかりました。成長線を調べると、スズキは10歳前後で体長70cm以上の成魚だったこと、漁期は春から秋だったことがわかりました。スズキは、春には浅い海や川口など塩分が少ない場所に移ってきます。10数キロも奥に入っていた「古美々湾」でもスズキが獲れたのでしょう。毎年春から秋の漁で手に入れたこの高級魚を、縄文人は舌鼓を打って味わったことでしょう。どんな調理をしていたか想像してみてください。

 急激な環境変動や噴火に出会いながらも、豊かになった海の資源を積極的に利用した縄文人たち。逆境を受け入れ、利用するプラス思考と柔軟性、そのたくましさとしたたさか、私たちが彼らから学ぶべきことは多いようです。