鶴野氏
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現役パイロットを彷彿させるかくしゃくとした鶴野氏
 千歳市内に元空自パイロットで、アクロバット飛行にもかかわった方がいらっしゃると知り、早速お話を伺ってきました。
 鶴野良雄氏、熊本生まれの72歳。
 鶴野さんは、まさに「飛行機野郎」という言葉がぴったりの「飛ぶのが生きがい」といった風情で、見るからにパイロット然としたかくしゃくたる方でした。
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 搭乗機種はT34、T6、T33(以上練習機)、F86戦闘機で総飛行時間は6,300時間に及ぶそうですから、単発機操縦パイロットしては出色の飛行時間ではないでしょうか。
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 現在は、白老フライング・クラブの会長をなさっており、ここでマイクロライトプレーンの操縦を指導されています。この飛行時間だけでも1,300時間になるそうですから、現役パイロットといっても差し支えないでしょう。
 しかもお住まい地区の町内会長さんもなさっていますから、ゆっくりされることのない毎日。取材の日は、市の敬老会の催し日でしたが、「老いてはいないから行かなかった」と豪快に笑っていらっしゃいました。 (2009.9.15/取材ben)



操縦学生の頃
 昭和30年(1955)、航空自衛隊に操縦学生として入隊したものの、その時点では搭乗する飛行機もなく、座学の毎日。授業の合間に空ばかりながめる日がしばらく続いたそうです。
 まもなく練習機が配備されて飛行訓練が始まりましたが、飛べるうれしさが厳しい訓練の辛さに勝り少しも苦にならなかったそうです。
 当時の俸給は日給・月給で1日180円。月6,000円にも満たなかったのに、この中から貯金できたことが今でも信じられないと笑っていらっしゃいました。
 一方、操縦指導をする教官は、飲み代に消えたお金を捻出するのに「今月は規定より多く飛行機に乗って燃料代がかさんだ」と奥さんに説明した強者もいたそうですから、おおらかな時代ではあったのでしょう。

部隊配備の頃(千歳基地)
 昭和34年(1959)、F86戦闘機の操縦資格を得て、千歳基地に配属になった当時の話もおう揚なものです。赴任時、鶴野氏の階級は1等空曹(曹長)でしたが、操縦資格は編隊長。飛行訓練では上級者の幹部(将校)パイロットを指揮することもあるなど、現在では考えられない時代だったようです。さすがに幹部パイロットには命令口調で指導はできず、上達しないパイロットには、空中で「できないのなら基地に帰って(地上勤務して)ください」と優しい言葉できつい指導をしたこともあると述懐されていました。
 千歳基地勤務では、編隊長として操縦指導をする傍ら、不明機などに備えたスクランブル要員としての配備にも就いていたそうです。

操縦教官の頃(浜松基地)
 昭和39年(1964)から8年間浜松基地でF86戦闘機の操縦教官として勤務。
 ここでは操縦学生の指導の傍ら、当時「戦技研究班」として設置されていたアクロバット飛行チームの「ブルーインパルス」に、後輩パイロットを送り出すこともあったそうです。こうして同じ基地のアクロ飛行チームのパイロットとも交流があり、操縦技術のアドバイスもしていたそうです。
 当時のアクロ飛行は、試行錯誤が続いており危険な機動もあったとか。まさに事故一歩手前のぎりぎりの操縦を追求する風潮も底流としてあったそうです。
 この高度な操縦技術を競う気風は、アクロ飛行以外のパイロットにもあり、「いかに低空で、いかに高速飛行ができるか」という課題で、高度50m以下をフルパワーで駆け抜けるという今では考えられない無茶苦茶な訓練をしていたそうです。


東京オリンピックでブルインパルスが描いた5輪
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(5輪の基本図・試行錯誤を重ねた最終図面)
 浜松基地でのアクロチームとの交流で忘れられないのは、昭和39年(1964)東京オリンピックでブルーインパルスが描いた5輪マークだそうです。
 浜松に赴任したばかりでしたが、ブルーインパルスのパイロットたちが、訓練を繰り返す日々を目の当たりにし、上手く描けないサークルに自分を重ね、どうしたら正確な5輪が描けるかと自機の操縦桿をにぎったこともあったそうです。
 オリンピック初日。澄み切った大空に見事にスモークで描かれた5輪を見たときは「お見事!これが世界に誇れる航空自衛隊の操縦技術だ」とその快挙に万歳を叫んだそうです。
 アクロチームは続いて昭和45年3月(1970)大阪万国博でも「EXPO70」の文字を描き、チームの技量の高さを世界中に示すことができ、パイロット仲間として大きな誇りを持ったものだと当時の喜びをお話くださいました。

次いでアクロバット飛行の難しさなどをお伺いしました。
  1980年千歳航空祭でのブルーインパルス
(千歳航空祭でのブルーインパルス/1980.8 11 濱頭氏提供)
 「千歳に来るサンダーバーズと日本のブルーインパルスの違いは何でしょうか」
 一番の違いは使用する機体ですね。ブルーは練習機ですが、米空軍チームは実戦機でパワーもあるし、旋回能力などの機動性に優れています。
 サンダーバーズのF16は、操縦桿がフライバイ・ワイヤー(操縦をコンピュータで補正・制御する技術)といって、操縦席の右側の小さなスティックで操縦する仕組みですから、従来の操縦桿のように直感的に操縦できません。身につくまでに相当の訓練時間が必要でしょうね。
 アクロ飛行の特質として、米軍は大胆で豪快。自衛隊は精緻で優雅といったところでしょうか。

 「アクロバット飛行で一番難しい項目は何でしょうか」
 それは遠くに離散した機同士がいかに早く正確に集合するかという技量ですよ。編隊飛行時の集中力の維持は並大抵ではありませんが、それにも増して離れたれた機が空中の一点を目指して再び編隊を組むのは非常に難しいのです。
 規定の時間に規定の場所で集合できなければ、アクロ飛行のプログラムが総崩れになってしまいますから。そのためには僚機との位置関係を3次元で常に把握して、最短距離で集合場所に向かう操縦技術が必要となります。もちろん到着が早過ぎてもいけないのですよ。これはもうチーム練習を重ねるしかありません。

 「アクロ飛行のパイロットの任期は3年だそうですが」
 アクロチームのパイロットが3年で異動するのは、習得した操縦技術を各飛行部隊で普及させるという理由のほかに、体力の消耗が激しいことがあるのです。30歳台後半にもなると、操縦技術は円熟し精神力や気力も充実するのですが、アクロを続けるには体力的に厳しいという現実がありますから。

 「アクロバットパイロットに求められる資質にはどんなものがありましょうか」
 それは操縦技術や知識等よりも、パイロットセンスですね。

 右の動画は、鶴野さんが4,600時間も操縦されたF86のビデオです。パワーこそないものの軽快に飛行する姿は名機といわれる理由が分かるような気がします。

 ビデオの中ほどに、F22やサンダーバーズの駐機が写っています。ネリス空軍基地かもしれませんね。いまでも飛行できるように大切に保存されているのに驚きます。