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昔の千歳・今の千歳
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3 千歳に海があったころ
千歳市教育委員会 埋蔵文化財センター

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美々貝塚北遺跡の貝塚断面    今の千歳市には海岸はありません。南となりの苫小牧市が太平洋に向き合っています。でも、今から六千年ほど前の縄文時代には千歳に海がありました。
 このことは、美々貝塚やスラッジセンター構内にあった美々貝塚北遺跡から知ることができます。ここは苫小牧の海岸から17km奥にありますが、出土する貝や魚は河口や海にすむ種類が主です。またシカなどとともに海の動物トドなどもみられます。千歳の縄文人たちは、野や山だけでなく豊かな海の資源もさかんに利用していたようです。
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 私たちは今、地球温暖化や北極圏の氷の減少、海水面の上昇というニュースを耳にします。また、雨がちで好天の日が少ない冷夏、大型や勢力の強い台風の増加、かつてない豪雨が各地にもたらす大きな災害などから、大きな気候の変動を身近に感じつつあります。
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「写真左」
美々貝塚北遺跡の貝塚断面
(サケのふるさと館「千歳とサケ展」より)


気温変化のグラフ

 グラフをみてください。一万二千年ほど前に氷河期が終わると、気温は急上昇をはじめました。七千年前から六千年前ほどにピークがありますが、美々貝塚が残されたのはこの時期でした。激しい気温の上昇はものすごい気候変動をもたらしたでしょう。そればかりか、このときまでに恵庭岳、樽前山、風不死岳が次々と大きな噴火をしていたのです。

 当時の気候・環境変動は、現代の私たちが直面するそれをはるかに上回るものでした。では、そのメカニズムを知るよしもない縄文人は、ただ恐れおののき文化は衰退していったのでしょうか。
 いいえ、けっしてそうではなかった彼らの強さがありました。