すこし前のことになりますが、平成4年に新千歳空港建設予定地内の美々8遺跡から出土したヒグマ頭骨についてお話しします。このヒグマはB滑走路本体部分の美々8遺跡A地区でみつかりました。ここは多くの遺跡が残された美沢川流域の遺跡群のひとつです。
美沢川流域一帯では、樽前山が噴火した時に降った火山灰が厚く積もっています。ヒグマの頭は、標高16mほどのやや急な斜面につくられて埋められた土坑(どこう=あな)の上にあったといいます(図)。土坑は長軸66p、短軸38pで深さは24pあり、その上に薄い黒土と樽前山が1667年に噴火した時の火山灰が積もっていました。このことから、ヒグマと土坑は17世紀前半かそれよりやや古いものと考えられました。
発掘した北海道埋蔵文化財センターの方から、「骨が出たから見てほしい」と頼まれたのは平成4年の秋だったでしょうか。千歳市の埋蔵文化財センターに持ち込まれた骨を見て、まずびっくりしたことをよく覚えています。写真1をみてください。ヒグマの頭のどこだと思いますか?
左の端は頭骨が環椎という一番目の背骨とつながる部分です。真ん中からやや右に寄った上下に歯があるのがおわかりでしょうか。これはヒグマの「上あご」の奥歯です。つまり、このヒグマは上あごだけが残されていました。調査された方に聞いたところ、掘っていた人が骨とは知らずに土ごと薄く削いでいって、ようやく上あごの底板(口蓋骨=こうがいこつ)や歯がでてきて骨と気づいたということです。つまり、この写真1は頭のてっぺんや額や鼻がそぎ取られた頭骨の底板ということになります。骨がとてももろくなっていたので仕方ないことと思いますし、底板だけでも回収されてよかったと思ったところです。不思議なことに下あごはありませんでした。
このヒグマは年齢が11歳から14歳のオスのヒグマであることがわかりました。問題はこの頭骨の出土した状況です。図を再度みてください。埋められた土坑の上にあった頭骨を取り巻くように、炭化した長い板か枝が広がっていたのです(図、土坑の周りの細い線の内側)。よく知られるアイヌの「イオマンテ」はコタンでとり行う1・2歳の若いクマの送り儀礼です。したがって美々8遺跡のヒグマは、山猟で得たヒグマを送る「オプニレ」という儀礼と考えるべきなのかもしれません。でも、千歳市の美笛岩陰でみつかったヒグマは頭の骨の下にちゃんと下あごが残っていました(写真2)。またここでは炭化した板などはありません。
美々8遺跡の下あごがないヒグマの頭骨。そのまわりを炭化した木片がとりまく、埋めもどした土坑の上に置かれる、という状態は他に例をあげることができません。今ではもうわからなくなってしまったアイヌの人々の動物儀礼は多様なものだったのかも知れませんし、それぞれの儀礼の形に意味があったのだと思います。なかなか難しい問題ですが、忘れられ失われた儀礼の形と意味を少しずつ解明していきたいと考えています。
千歳市美笛岩陰のヒグマ(千歳市埋蔵文化財センター所蔵)
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